産山村の沿革

更新日:2021年11月30日

由来


阿蘇を開いた健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御嫡孫生誕の地として、命(みこと)を山にたとえ、山が生まれた地「産山」となったと言われています。
 

藩政時代


産山村は、肥後と豊後を結ぶ要衝の地として、藩政時代は久住手永(肥後藩の飛び地)に属し、産山村・田尻村・山鹿村・大利村・片俣村の五ヶ村から成っていました。
 

町村分離合併


明治21年(1888)四月、法律一号をもって「町村制」が発布されました。
これによって阿蘇郡124ヶ町村は26ヶ町村にまとまり、波野郷の12ヶ村は波野村と産山村に分離合併しました。

本村は産山村・田尻村・山鹿村・大利村・片俣村の5ヶ村が合併して成立し、産山村と呼び、従来の村名は大字となり、公選によって井貞記が初代村長となりました。
 

現在


平成元年(1989年)産山村は生誕100年を迎え、現在でも近隣市町村と合併することなく、独自の村政を行っています。
 

沿革
産山の由来 健磐龍命御嫡孫生誕の地(命を山にたとえ)
藩政時代 久住手永(肥後藩の飛び地)
明治5年 廃藩置県で正式に熊本県
町村分離合併 現在の産山村(5ケ村合併)
平成元年 産山村生誕100年