由緒
創建の経緯についてはつまびらかではないが、天正十年(1582)に勧請された記録が神社にあります。
祭神嵯峨天皇は、平城天皇の後を受けて大同四年(809)四月、二十四歳の時に皇位につかれ、御在位十四年で淳和天皇に譲位され、三十八歳で上皇となられました。
学問に秀で、僧空海とともに国中に聞こえた能書家でもあられた天皇は、優れた手腕で政治機構を改革され、文教を起こし、産業の振興に尽くされたので、国中が大いに繁栄したとあります。
その御威徳をたたえてここに勧請したものと考えられ、この地方の産土神として厚く崇敬されています。
上皇は承和九年(842)五十七歳で薨ぜられています。
神社に樹齢400年を超すといわれ、直径2メートル余、枝下12メートルに及ぶ綾杉の巨木でしたが、昭和22年(1947)に惜しくも切られたことが伝わっております。
これを当時の価値105万円で売り、社稷の改修をし、更には社有財産を求めるなど、神社の護持と社勢の高揚に努めたそうです。この杉は、今考えると神社勧請と同時に植えられたもので、勧請年代と樹齢も一致すると思われるます。
境内の大銀杏は村の天然記念物であり、伝承されている獅子舞は村の無形文化財となっています。